嗚呼 早慶戦 昭和18年阿部球場
戦雲急を告げ野球どころではないと言われていた昭和18年最後の早慶戦が早稲田の阿部球場で行われた。
このとき反対する軍部や官僚を説得して、慶応義塾の小泉信三塾長が、学徒出陣前の学生を集めて早慶戦を開催したのである。
私が初めて早慶戦を見に行ったのは、中学生の時だった、日曜日の朝父親が神宮へ野球を見に行こうという。ついて行くと球場の回りは大変な人で、入場券は売り切れである。それでは帰るのかと思うと、父は、一人のヤクザのようなお兄さんを捕まえて話している。2枚で1000円と言って、そのお兄さんは腕の中に巻いて隠していた入場券を2枚取りだし、1000円札を受け取ると、何処かへ消えてしまった。当時はモリソバが25円の時代である。早慶戦の入場料も20円か30円くらいだったろう。それから5年ほど後早稲田へ入って早慶戦に言ったときの入場料は50円だった。 球場の中は立錐の余地もないくらいの大観衆で埋め尽くされていた。父と私は、通路に座って試合を見ていた。早稲田側の席に入っていたが、慶応が得点を入れると父は盛んに拍手をしていた。
その時の慶応の投手は、後に巨人のエースその後は巨人の監督として活躍した藤田元司であった。